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和歌山地方裁判所 昭和35年(わ)39号 判決

被告人 中川清吉

明四二・一・一九生 製材工

主文

被告人を懲役壱年六月に処する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は昭和一二年頃亡妻きみゑ(昭和三三年六月一〇日死亡)と結婚し、同女との間に長女照美を儲けた外広一を養子とし、右結婚後きみゑの実母玉置ぎん方に同居していたところ、昭和三一年一二月二六日その頃右玉置ぎんの住家に放火した事犯により懲役四年に処せられ、その刑の執行を受け、同三三年九月三〇日仮出獄により出所し、当時右ぎん等が借家住いしていた和歌山県東牟婁郡古座町西向一四八〇番地の家に帰り、製材工として稼働していたが、かねて酒癖が悪く、飲酒の上家族を困らせ、近隣の者にも不安恐怖を与えていたところ、たまたま右玉置ぎん(死亡当時七八年)が同三三年一一月下旬頃から心臓衰弱等の病気で寝込み、医師の診療を受けていたが、老衰も加わり、経過は良くなく、翌三四年一月上旬頃一時危篤状態に陥り、医師の注意を受けていたが、その後稍元気が回復したるも、依然病臥療養中同月二五日午後一一時過頃右自宅において死亡したものなるところ、右死亡前同日午後九時過頃被告人は飲酒の上帰宅し、些細なことから長女照美と口論を始め、同女の頭髪を引つ張る等の暴行を働いたので、同女において近隣の村田ゆき(当六九年)なる家主の許に救を求めたところ、その場へ駈けつけた右村田ゆきより被告人は「暴れるなら出て行つてくれ、この家はお前に貸したのではない、お前が刑務所から帰つて来られたのも、お婆さんが引受けてくれたからだ」等と強硬に云われたので、これに憤激し、右ゆきに応酬したうえ、それではお婆に聞いて見ると云つて、直ちに自宅三畳間に病臥中の右玉置ぎんの許へ行き、お婆お婆と一言二言呼んだ後、同女の掛布団を跳ね上げて、同女の寝巻の肩の辺りを両手で掴んで約一米位(頭頂部の移動距離)引きずり出す等の暴行を加え、直ちにその場に居た養子広一に制止せられたが右暴行によりぎんの心臓病を悪化させる傷害を与えたものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

法律に照らすと被告人の判示傷害の所為は刑法第二〇四条罰金等臨時措置法第二条第三条に該当するので、所定刑中懲役刑を選択して被告人を懲役一年六月に処し、訴訟費用については被告人は貧困であるから刑事訴訟法第一八一条第一項但書を適用して被告人には負担させないこととする。

(公訴事実についての説明)

本件公訴事実は被告人が判示の如く玉置ぎんに暴行を加え、同女の心臓を急激に衰弱せしめて、同女を死亡させたものであるというのであるが、被告人が慢性心臓不全と老衰で二ヶ月近くも病床にあり絶対安静を要する重病人をたとえ僅かの場所とは云え、病床より引きずり出すが如き無謀な行為をしたこと、その後一時間余してぎんが死亡したこと、医師水口俊助作成の死体検案書中玉置ぎんの死因として、心臓衰弱し、老衰の傾向あり、その上に外力が加えられたためと考えられる、又外力により死期が早められたと考えられる旨並びに同医師に対する証人尋問調書中の同旨の供述記載等を綜合すれば被告人が公訴事実の如く傷害致死罪を犯した疑の濃厚なものがあるが、然し詳さに当時の状況を考察するに

一、被告人が当時言い争いをしていたのはぎんではなくて、村田ゆきや長女照美であつたこと。

二、ぎんを病床より引きずり出した被告人の行動に甚だ不可解なものがあるが、同行動も同女を打つ蹴る等のような典型的な暴行行為でなく、同女を引き出して村田ゆきの近くへ連れて行こうとしたものなること。

三、証人水口俊助に対する前記尋問調書中自分は一月一〇日に最後の往診をし、次いで同月二六日にぎんの死体を検案したが、その際同人の家族よりぎんの死亡前日の容態を聞き、そのままでは二日位生きると思われた旨即ちぎんの病気は不治のもので、その病勢より近く死の転帰は免れないものと認めている供述記載

四、鑑定人錫谷徹の鑑定書中慢性心臓不全の経過は増悪軽快が交替し所謂一進一退する場合が多いものであるが、一時増悪しても自然的に再び軽快するか或は適当な治療によつて軽快するか、或は如何なる治療を施しても軽快せずに死に到るか、或は増悪そのものでは死に到らない程度のものであつても、それとは別個に別種の第二の内的或は外的影響が加わつて両者共同して又は後者のみの作用で死に到るかの何れかであつて、これ等のうち何れの途をとるかは重症慢性心不全の場合では予断できない。従つて本件の場合死に終つた玉置ぎんの経過がどの途を辿つたものかは本件記録の資料からは全く断定できない。すなわち一月二五日午後一〇時頃に始まつたぎんの病状悪化が直接死を誘発したものと断定することはできない旨の記載並びに鑑定の結果としてぎんの死亡は被告人のした外力によつて誘発されたものと断定することはできない旨の記載。

等の事実及び証拠を綜合して考えると被告人のぎんに対して加えた判示暴行とぎんの死亡との間に因果関係があつたかどうかこれを断定すべき証拠が十分でないので本件公訴事実は判示のとおり傷害罪を認定することとなつたのである。

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、被告人は本件犯行当時酩酊のため心神喪失或は心神耗弱の状態にあつたと主張するけれども、前掲各証拠を綜合すると、被告人が当時相当飲酒酩酊していたことは認められるが、もともと被告人は酒に強い方であり、かつ当日の飲酒量は平素の酒量に比し特に多かつたとは認められず、更に犯行当時の被告人の言動等より被告人が当時事物の理非善悪を弁別する能力がなかつたとか、又その能力が著しく減退していたとは到底認められないので弁護人の右主張は採用しない。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 中田勝三 尾鼻輝次 大西浅雄)

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